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紺碧の追憶 |
>Topに戻る 1.沖縄・那覇 五月の連休も終わり、友人と久しぶりに会った。彼とは、仕事の都合で久しく会うことがなかった。昼食をとりながらお互いの休みについての話をした。互い不幸な連休だった事を笑った。次の休みには何か楽しい事をしたいものだと私が言うと、「沖縄に行くぞ」と友は言い。「7月に行く」と重ねて言う。その迫力に私は首を縦に振らざるえなっかた。そんな日から2ヶ月が過ぎ、よいよ出発の日が来た。私は始めて沖縄に行く、まだ見ぬ南の街を想い飛行機に乗った。機内は空席が多く、ゆったりと座ることが出来た。東京から沖縄までは2時間半、2,000Kmの距離がある。飛行機は晴天の空を飛ぶ、眼下の青い水面に与論島が見えてきた。もう、間もなく沖縄圏内である。 日本列島は南北に長く、雪降る北海道から亜熱帯気候の沖縄県まで四季や気候に跳んだ豊かな島国だ。特に沖縄本島を含む琉球諸島は原始の森を多く残し、海の中には豊かな珊瑚礁が広がっている。 コンクリートとアスファルトの世界から来た私には飛行機の小窓から見えた沖縄本島の一部ですら、深い緑の木々に覆われたジャングルだった。 珊瑚の隠見する紺碧の海が次第に近づく、飛行機は高度を下げ着陸態勢に入った。那覇の白い街並みが徐々に大きくなり、我々を乗せた飛行機エアバスA300は那覇空港に足を着けた。エアコンの効いた空港ビルから一歩踏み出すと、今まで味わった事のない強烈な日差しに思わずたじろいだ。容赦の無い炎天の空の下にも人の営みがあり、人間の知恵と順応性に感心をした。 那覇の街は都会である。繁華街は深夜まで多くの人々で賑やかで、皆、総じて酒が強い。これは泡盛と呼ばれる琉球古来の酒のお陰なのだろうか、泡盛は癖のある酒である。原材料の米こうじを発酵させ、蒸留して出来る酒が泡盛だ。若い泡盛は刺々しく飲みにくいが、長い時を掛けて熟成された泡盛はとても円やかで飲みやすい。これを”古酒”と書いて、クースと云う。泡盛の独特の臭いや味が苦手だと云う人が多いが、私はこの酒が至極気に入り、今では常飲酒となっている。旅行中は毎夜の様に泥酔していたが、不思議と二日酔いにはならなかった。 首里は那覇市の奥座敷に位置する。長い石灰岩の石段を登ると首里城の城壁が目の前に迫る。戦災により城の建造物は焼け落ちたが城壁の一部は琉球王朝時代のまま残った。城壁に沿い道を行くと、守礼の門をくぐる。団体の観光客達が門の前で記念写真を撮っている。花笠を被り民族衣装を纏った娘達がにっこり笑って花を添えている。門から少し行くと復元された首里城へ入る門がある。有料である。幾らばかりかの見学料を払い城内へ入ると、品の良い石畳が緩やかな傾斜で山の頂へと続く、振り返ると那覇の街並みと東シナ海が一望の内に目に飛び込む、陽は高く陰が短いので街のビル群が白く輝く様に見える。眼下の首里の家々は低く、屋根だけが目立つ、屋根は赤茶色の琉球瓦を白い漆喰で固めてある。この高台から見る瓦畳は古き良き風景と云える。 那覇市から国道331号線を南に下ると、那覇の台所、糸満市に至る。此処まで来ると殆どの人は、漁業か農業を生業としている。漁業は”サバニ”と呼ばれる丸太舟の様な小さな舟で漁をする。二人乗ったら沈みそうな舟だが船外機を装備しているので多少は遠くまで行く事が出来る様だ。陽の高い時は町中に人影は無く、皆、家の奥で身体を休めている。これほど那覇に近いのにまるで違う島に居る様に思える。 太平洋戦争の戦火は平和なこの町を地獄に変えた。多くの戦跡が点在する意味深い町である。平和記念公園に建つ白い記念堂は緑の木々の中で悲しいほど美しくそびえている。戦没者の名前を刻んだ御影石の列が整然と並び、その多さに改めて戦争の醜さを知った。摩文仁の丘に登ると各県の慰霊碑が続く、途中の売店で線香を購入し、縁のある慰霊碑に手向けた。丘の頂上からは遥か太平洋が一望出来る。吹き上げる風は強く、火照った身体を冷ましてくれた。 沖縄自動車道を那覇から北へ走る。北部はリゾートホテルの森と原始のままの山原(ヤンバル)の森が共存する。巨大なホテル郡は都会の人間をひとときの天国へ誘う。惜しげもなく肌をさらした娘達が白い浜辺で寝そべっている。目の毒である。海は何処までも蒼く、太陽は暑かった。リゾートから少し那覇寄りに戻ると、そこにはアメリカ軍の嘉手納基地がある。基地は広大で何処までも続いていた。街の看板の殆どは英語で表記されており、此処にはアメリカなのだと思った。沖縄の戦後はまだ続いている。 始めての沖縄旅行は沢山の想い出と苦い現実を残し終わった。再び、この地を訪れる事を願った。 2.石垣島 数年を経て、再び沖縄を訪れる機会があった。今回は離島を巡る事にした。離島、特に南の外れの島々を先島と云う。先島へ渡るには、まず石垣島へ渡る必要がある。石垣島へは那覇から船で行く事とした。今回の旅行は、金は無いが暇はある。飛行機に比べ、船賃は格段に安い。船は中型の貨物兼用フェリーで、お世辞にも豪華とは云えない船内には、私と同様に貧乏旅行の似合う人々で賑やいでいた。午後8時、暑かった太陽も彼方の水平線に没し、夜の戸張が辺りを包み込む。暗い港から見える街は今夜も惜しげもなく電飾を輝かし、暑い夜を謳歌している様だ。船は八重山諸島に向け、那覇の街を後にした。次第に離れる街の明かりを名残惜しく見つめる人達で甲板は混みあっている。小一時間も経つと船は、東シナ海の大海原に出た。月もない今宵は、空に輝く無数の星々だけが、進むべき方向を教えてくれる。 船は黒潮に逆らい南へ進む。 石垣島は八重山諸島の中心地である。多くの物資がここに集まり、ここから小さな船で更に遠くの島々へ運ばれる。1日に何便もの定期連絡船が出ており、少し離れた島でも不便は無い様だ。 那覇では沖縄ソバと呼ばれているものも、八重山に来ると八重山ソバと変わる。那覇の平麺に比べて、こちらの麺はやや細く、具は簡素で葱、蒲鉾、紅生薑だけである。八重山の人間性はソバと同様に簡素であり、それがこの土地の美徳なのかも知れない。 石垣島の南部には観光や商業が集中しており華やかだ。北部は農業や牧畜が盛んで、パイナップルやコンビーフはここの特産品だ。人里離れた北端の牧場には黒牛がいる。偶に道路にも出てくる時もあり、車で走る時は注意が必要だ。 北端の平久保崎は切り立った崖が青い海に突き出し、木立の一つも無く殺伐としている。観光シーズンでも訪れる人も少なく吹き付ける風も哀愁を帯びている。 3.与那国島 船は30ノット(時速56Km)で海原を西へ進む、かなりの快速艇である。それでも石垣島から与那国島まで3時間余り船に揺られる事になった。波面に島影が見えて来てもなかなか近づいてこない。最果てとは正にこの島の事を云う。日本国土の最西端である与那国島は、波濤を受け紺碧の海に浮かぶ古城の様である。断崖は海面から数十メートル立ち上がり、人の侵入を拒んでいる石垣の様だ。 自然の営みは私たちに不思議な造形を見せてくれる。海にそそり立つ岩板、巨大な墓石の様な姿を人は”立神岩”と呼んだ。いつこの様な形に成ったのか解らないが、大自然の力がこれを造った。 更に此処の海底には不思議な場所がある。俗に云う”海底遺跡”である。遺跡と云うには余りに不確実だが、自然の力で形成されたとしてもまた、不自然なのである。海面下、数メートルも潜らないうちに階段状の岩塊が目に映る。その大きさは、一望する事が出来ないくらい大きく、岩肌は見事な迄に鋭角で、人の手が加えられたと云っても間違っていないかもしれない。しかし、此処に文明が栄えたと云う痕跡は見つかっておらず。蒼くけぶる海に沈む岩塊は神秘とロマンを漂わせ、今、尚物議を醸しており多くの謎に満ちている。 島の表玄関は久部良港のある西側の入り江で、岬の高台に最西端の碑がある。岬に登ると晴れた日には台湾の島が見える。島の大半は漁をして生計を立てている。与那国の漁師は黒潮に乗ってやってくる魚をサバニ舟で追う。年老いた身体で舟を操り、大きなカジキマグロを釣り上げる。ヘミングウェイの”老人と海”の様な光景が此処では毎日見る事が出来る。 4.西表島 大きさの割に人口の少ない島である。島の殆どが原生林で覆われており、広い畑や牧場を作る事が出来ず人口が抑制されているのだろう。お陰で希少な野生動物が現存しており”日本のガラパゴス”と呼ばれている。 西表島には多くの川があり、大きな瀑布も見られる。小さなカヌーで川を進むと、両岸は亜熱帯特有のマングローブが生い茂り、アマゾン川の様な光景である。人工の音は何も聞こえず、滝から落ちる水の音だけが辺りに低く響く。 カヌーを降りてジャングルを歩くと樹木は更にうっそうとし、熱く肌を焦がす太陽の光さえも遮り道は薄暗く、ぬかるんでいる。足下には黄緑色に輝く蜥蜴が侵入者に気づき逃げ惑い、よいよジャングルである。狭く滑りやすい道を30分程歩くと目の前に断崖が現れる。見上げると眩む様な高さから落ちてくる水塊は一条の筋となり滝壺に注ぐ、途中の岩々に当たり砕けた飛沫は太陽の光を屈折させ、美しい虹を造る。また、飛び散る水飛沫のお陰で辺りは涼やかである。 西表と云えば、”西表山猫”が有名だ。しかし、余り可愛気の無い猫で人前に姿を現す事は殆ど皆無だ。その姿は写真か剥製でしか拝むことが出来ず、島に住む人でも見る事は稀である。山猫の瞳はエメラルドの様に深い碧色をしている。島の道路は見通しが良く、直線が多い。信号は全島に一つだけで、警察官も居ないのでスピードは出し放題。希少な山猫を保護する為、山猫の絵をあしらった警告標識が所狭しと掲げられている。また、”クイナ”と云う飛べない鳥も道路に出てくる事がある。車を見て逃げ出す姿は哀れな程滑稽である。 5.鳩間島 西表島の北、2Km程の洋上に浮かぶ島が鳩間島だ。定期便の往来もない小さな島だ。此の島を訪れる者は余程の文明嫌いか、ダイバーぐらいであろう。 島の最高峰は海から歩いて5分の丘である。そこには灯台が建ち、船の安全を見守っている。 6.竹富島 快速艇は白い航跡を残し、石垣島から竹富島へ向かう。竹富島は太古の昔、珊瑚礁が隆起して出来た島だと聞いた。山や川は無く海に浮かぶ緑のお盆の様な島だ。石垣島に比べると遥かに小さな竹富島だが、昔はこの島が政治の中心だった。八重山の島々が未だに竹富町に帰属しているのがその名残である。 巨大な経済都市である石垣島から僅か6.5Kmしか離れていない竹富島だが観光や開発の色に染まらず今尚、古き良き風景を残している。町には白い砂の道が縦横に走り、赤や黄色の花々が年期の入った家々を彩っている。水牛の引く牛車で町内の史跡や名所を案内してくれる。また、島内の各所へは島内タクシーと云う、格安の車が走り廻っている。勿論、自転車も貸してくれるので自分でも好きな所へ行ける。竹富島は全島が団結して観光客をもてなしてくれる。屋根の上のシーサー(魔除け獅子)達がそんな町を見守っている様だ。 7.黒島 名前は厳ついが至って長閑な島である。島の殆どが牧場で人の数より牛の数の方が余程多い。此処の牛は黒毛の牛で肉付きは薄く、余り豊満とは云えない。顔は端正な面長で角が有るので辛うじて馬と見間違う事は無い。その黒牛が数頭、固まりで車道を歩いて来る。自転車に乗った観光客らは牛達に道を譲り、すれ違った。黒島はやや大きい島である。自転車が一番確実な交通手段である。船着き場の脇でおばちゃんがよく使い込まれた自転車を貸してくれる。東京で捨てる自転車が有れば取り替えて上げたいものである。観光への取り組みは竹富島ほど力を入れておらず、此の島を訪れる者は少ない。 8.波照間島 星は満天に輝く、辺りに光を放つものはまったく無く水平線の彼方まで暗幕の世界である。星々は僅かな瞬きを繰り返し満天の空に輝く、天の川の微かな光の帯が雲の様にそこにあった。南十字星が見えると云う波照間島は八重山諸島最南端に位置している。居住出来る国土としても最南端にあり、それだけで人は訪れる。波照間島の町は小さく、50mも行くともう、町の外である。町外れの木陰では二人のおばちゃんが会話をしていた。見事な八重山弁は完全な外国語である。 9.小浜島、新城島、那覇再び まだ行っていない島が沢山ある。いつか訪ねる日を思い帰路に着く。那覇空港で出発の時間を待つ、沖縄で最後の沖縄ソバとオリオンビールを楽しみながら島々の日々を偲んだ。 >Topに戻る |